■多分このエントリ−はとてつもなく長くなる。ボクの心情をありのままに綴るから、人によっては青臭かったり見苦しく映るかも知れない。どう感じるかは自由というのがボクの考えなので、何かを押し付けたり共感してもらうつもりはない。各自が感じたことが等しく真実だと、前置きさせて欲しい。
■ボクにとって、Yellowと聞いてまず連想するのはFrancois Kevorkianだ。NYのBody&Soulに通っていた時期もあったが、黄色のFKの方が全然ヤバいと思っていた。EMMAは他の箱で見るのも(中身は違えど)好きだったが、FKは黄色じゃないとダメだった。
確か随分前のアニバーサリーだったと記憶してるが、この時のFKは今でも忘れない。当時のボクは、テクノやリズム中心の音に傾倒していて、日本に営業に来てお決まりの懐メロを垂れ流すだけのGarage系DJにはウンザリしていた。当然、Garageの代表格であるFKもナメていた。全くノリ気がしなかったが、友人に無理矢理誘われ行く機会があった。ラウンジで何杯かひっかけて帰るつもりが、最終的にはスピーカーに抱きついて踊っていた。衝撃のプレイだった。この時から、またハウスに戻って来た。
だから、クローズを知った瞬間、最後を飾るのはフランソワしかいないだろうと思った。
NYよりNYらしい箱。レコードのラベルでしか触れることのできない鉄人に出会える場所。当たった時もハズレた時も振り幅がでかい。いわゆる大箱。西麻布の地下。都会の水々しさを感じさせる場所。
それがYellowだ。
■当日はFrancois Kに加え、クレジットにないDanny Krivit、Joe Claussell、Laurent Garnierらがかけつけプレイしていた。急遽Kenny Bobienのライブが行われた。
歴代の鉄人達から、 Yellowへ向けたメッセージが録音されていた。Derrick May、John Digweed、Joe Smooth、Kerri Chandler、Mark Farina、Luke Solomon、Blaze、Frankie Knuckles、Carl Craig、DJ kensei、Alex、Carl Cox etc...おそらく20人以上は軽くあった。名前を聞くだけでお腹一杯になる錚々たる面子。中には電話口で録音されたようなものまであった。FKは、これらのメッセージを時折トラックに混ぜていった。
鉄人が並ぶブース。
荒れ狂う人々の熱気。
全てが、どれだけこのクラブが愛されていたかを物語っていた。
Why we dance...
We shall not be moved..
■バーへ続く長い行列で見知らぬ奴と、タイムテーブルを確認し合う。
深い時間帯に汚物にまみれたB2Fのトイレで一息つく。
暗黒の螺旋階段を阿吽の呼吸ですれ違う。
フロアでタバコの火が連鎖する。
今まで当たり前だったことが愛おしく感じた。
■Pureself以来、Foolish Felixに会った。少し前ではEMMAが手を挙げてはしゃいでいた。周りを見渡すと木村コウがいた。Moodmanがいた。Danny Krivitが踊っていた。ケミ子(ボクらが勝手に命名した)をはじめ、Yellowで見かけるおなじみの面々が揃っていた。右後ろ組が復活した。
フロアでは皆平等だ。
■401とつるむようになったきっかけは、このフロアだ。今でこそストイックな素晴らしいDJだが、出会った当時、一緒に出たパーティーで遊び半分にDJをしていたその姿にボクはイライラした。どちらかといえば好きなタイプではなかった。
ある時、何気なく黄色に誘ってみた。半分以上は、社交辞令のつもりだった。確かガルニエだったと思うが、Yellowのフロアで一人踊っていると肩を叩かれた。振り返ると401がいた。伝えたいことが共有できた。
そこからGrooveの謎、"あの感覚"を求める旅が始まり、やがてLIVEraryや今へ繋がっている。
数えきれない出会いと別れがあった。その中には甘美な思い出だけではなく、今でも痛みを感じる傷跡も含まれる。フロアにはあらゆる思いが染み込んでいる。
それがYellowだ。
■幸いなことにボクは、二度だけDJとしてメインブースに立つ機会があった。重いレコードバッグをかつぎ、ブースへと続く高めの段差をまたいだ瞬間は、今でも鮮明に覚えてる。これまで人生で、10年以上願い続けた夢が叶ったのはこの一度きりだ。
いわゆる前座の時間帯だったが、どんなビッグパーティーやレイブよりも緊張した。PAや照明はもちろんバーテンやエントランスに至るまで店員のプロ意識に驚いた。クラブの隅から隅に至るまで東京いや日本のクラブシーンを支えているという明確な自負が感じられた。
あのブースにいたのは合計4時間だったが、忘れられない素敵な時間だった。
おそらく黄色でまわす機会がなくクローズしていたとしたら、DJをやめていたと思う。故郷であり目標であり神聖な場所。
それがYellowだ。
■YellowのPAはボクの同級生だった。とはいえ、彼とは学生時代にはほとんど喋ったことはない。聴いてるジャンルも全く違ったし、顔は知ってるが挨拶する程度の関係だった。
彼がYellowのPAになってから、パーティーの度に少しずつ会話を交わすようになった。ボクがまわした時も横には彼がいた。
やがて学生時代の同士は1人減り2人減り、気付けばフロアに残った者はボクと彼とレミの3人だけになった。Yellowに行く度に、寂しさと妙な連帯感をいつも感じていた。
最期の夜に、彼の手を両手で握り心からありがとうと伝えた。これだけの人の心に軌跡を残す。同世代のどんな出世頭よりも誇らしい仕事をしていると思えた。
■終盤のフロアでAckkyさんと出会った。目の前で繰り広げられる24時間を超えたとは思えない異常な光景を眺めながら、あの感覚について、残された者にできること、これからについて話した。最後は自然と固い握手を交わした。
大きな悲しみには勝てないが、少し元気が出た。
■ありもしないユートピアや美化された過去にすがりつくのではなく、等身大の今を映し出す俗な音楽。
単体では成り立たない不完全で弱い音楽。故に美しくリアルな音楽。
現代の怒りや悲しみ、そして大きな愛を包括する音楽。
Can you feel it?
それがハウスだ。
■踊り子は電子音を体の各部にアサインし、スピーカーから発せられる指令に従う。DJはPromised Landへと繋がる4桁のパスワードを入力し続ける。アクセスが成功すると、長方形のフロアは潜水艦にも宇宙船にも変貌する。ミキサーとアイソレーターを操縦桿に長い航海が始まる。
60hzの重低音がコンクリートの壁にこだまする。Jackと呼ばれるその音の原石は、煙や湿気の充満する空気と混じり、七色の照明に染められることで、初めてGrooveへと具現化する。
建物を震わす。箱が揺れる。だからハウスと呼ぶのだ。
■ある意味レイブより過酷な環境を乗り切るためバッグに詰め込んだ物資はとっくのとうに尽きた。体力が削がれタバコや酒の味すらわからなくなる。
いつのまにかフロアに座り込み意識を失っていた。どれくらい時間がたったのかわからないが、意識を取り戻した時、音はまだ鳴っていた。
It's not over between you and me...
■2回目の朝日を迎えた頃、ついにその時がやってきた。
土曜日の22時から月曜日の朝5時。31時間に及ぶミスティカルジャーニー。もはやパーティーを超越した狂気の沙汰。そりゃそうだ。綺麗に終われるわけがない。現実はそういうものだ。
ブースを見るとFKが泣いてるのか笑ってるのか眠っているのかわからないような顔で、アイソレーターをいじっていた。人の顔にはここまで感情がこもるものか。世界で最も美しい指先、ボクが憧れるアイソ捌きがそこにあった。今までYellowで通ってきて、一番大きな低音を聴いた。スピーカーが泣いた。箱が泣いた。
正直話すと、PCに移行した後のフランソワはあまり好きじゃなかった。もっと言えばDeep Space以降から、あまり興味を持てなくなった(これはボク個人の嗜好だから、人の評価を否定するつもりは全くない)。それでも最後は、ボクにも"あの感覚"を魅せてくれたことが嬉しかった。
音が止まりフランソワが「みんな家をなくしたような顔をしてる」と言った。つたない日本語が心に染みた。
しばらくフロアに腰を下ろし動けなかった。本当に悲しい時、人は無表情になると知った。
こうして黄色い青春が幕を閉じた。
本当に大切なモノに気付くのは、いつでも失った後だ。
終わりの後に始まりがあるのは、理解している。姿、形を変えながらDNAは受け継がれるだろう。ただ、Ain't No Mountain High Enoughと歌う程、現実は楽なものではない。ボクは強い人間はではないから、いつも悲観的だ。それでも幸か不幸か時は流れる。。。
さようなら。また新たな感覚に出会うその日まで。
Do you remember House?
R.I.P. Yellow....
<おまけ>
10年来のどうしようもない親友&口の悪い先輩と
この絆がハウスだ。
YAMADAtheGIANT | 2008年06月24日 | Party, Classics | コメント (14)