We believe in only now (Final EMMA HOUSE) «« »»土曜日は横浜で。

right.gif Mystical Journey through House and Yellow

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ついにこの日がやってきた。2008年6月21日。イエロー最期の夜。

■多分このエントリ−はとてつもなく長くなる。ボクの心情をありのままに綴るから、人によっては青臭かったり見苦しく映るかも知れない。どう感じるかは自由というのがボクの考えなので、何かを押し付けたり共感してもらうつもりはない。各自が感じたことが等しく真実だと、前置きさせて欲しい。

■ボクにとって、Yellowと聞いてまず連想するのはFrancois Kevorkianだ。NYのBody&Soulに通っていた時期もあったが、黄色のFKの方が全然ヤバいと思っていた。EMMAは他の箱で見るのも(中身は違えど)好きだったが、FKは黄色じゃないとダメだった。

確か随分前のアニバーサリーだったと記憶してるが、この時のFKは今でも忘れない。当時のボクは、テクノやリズム中心の音に傾倒していて、日本に営業に来てお決まりの懐メロを垂れ流すだけのGarage系DJにはウンザリしていた。当然、Garageの代表格であるFKもナメていた。全くノリ気がしなかったが、友人に無理矢理誘われ行く機会があった。ラウンジで何杯かひっかけて帰るつもりが、最終的にはスピーカーに抱きついて踊っていた。衝撃のプレイだった。この時から、またハウスに戻って来た。

だから、クローズを知った瞬間、最後を飾るのはフランソワしかいないだろうと思った。

NYよりNYらしい箱。レコードのラベルでしか触れることのできない鉄人に出会える場所。当たった時もハズレた時も振り幅がでかい。いわゆる大箱。西麻布の地下。都会の水々しさを感じさせる場所。

それがYellowだ。

■当日はFrancois Kに加え、クレジットにないDanny Krivit、Joe Claussell、Laurent Garnierらがかけつけプレイしていた。急遽Kenny Bobienのライブが行われた。

歴代の鉄人達から、 Yellowへ向けたメッセージが録音されていた。Derrick May、John Digweed、Joe Smooth、Kerri Chandler、Mark Farina、Luke Solomon、Blaze、Frankie Knuckles、Carl Craig、DJ kensei、Alex、Carl Cox etc...おそらく20人以上は軽くあった。名前を聞くだけでお腹一杯になる錚々たる面子。中には電話口で録音されたようなものまであった。FKは、これらのメッセージを時折トラックに混ぜていった。

鉄人が並ぶブース。

荒れ狂う人々の熱気。

全てが、どれだけこのクラブが愛されていたかを物語っていた。

Why we dance...
We shall not be moved..

■バーへ続く長い行列で見知らぬ奴と、タイムテーブルを確認し合う。
深い時間帯に汚物にまみれたB2Fのトイレで一息つく。
暗黒の螺旋階段を阿吽の呼吸ですれ違う。
フロアでタバコの火が連鎖する。

今まで当たり前だったことが愛おしく感じた。

■Pureself以来、Foolish Felixに会った。少し前ではEMMAが手を挙げてはしゃいでいた。周りを見渡すと木村コウがいた。Moodmanがいた。Danny Krivitが踊っていた。ケミ子(ボクらが勝手に命名した)をはじめ、Yellowで見かけるおなじみの面々が揃っていた。右後ろ組が復活した。

フロアでは皆平等だ。

■401とつるむようになったきっかけは、このフロアだ。今でこそストイックな素晴らしいDJだが、出会った当時、一緒に出たパーティーで遊び半分にDJをしていたその姿にボクはイライラした。どちらかといえば好きなタイプではなかった。
 ある時、何気なく黄色に誘ってみた。半分以上は、社交辞令のつもりだった。確かガルニエだったと思うが、Yellowのフロアで一人踊っていると肩を叩かれた。振り返ると401がいた。伝えたいことが共有できた。

そこからGrooveの謎、"あの感覚"を求める旅が始まり、やがてLIVEraryや今へ繋がっている。

数えきれない出会いと別れがあった。その中には甘美な思い出だけではなく、今でも痛みを感じる傷跡も含まれる。フロアにはあらゆる思いが染み込んでいる。

それがYellowだ。

■幸いなことにボクは、二度だけDJとしてメインブースに立つ機会があった。重いレコードバッグをかつぎ、ブースへと続く高めの段差をまたいだ瞬間は、今でも鮮明に覚えてる。これまで人生で、10年以上願い続けた夢が叶ったのはこの一度きりだ。
 いわゆる前座の時間帯だったが、どんなビッグパーティーやレイブよりも緊張した。PAや照明はもちろんバーテンやエントランスに至るまで店員のプロ意識に驚いた。クラブの隅から隅に至るまで東京いや日本のクラブシーンを支えているという明確な自負が感じられた。

あのブースにいたのは合計4時間だったが、忘れられない素敵な時間だった。

おそらく黄色でまわす機会がなくクローズしていたとしたら、DJをやめていたと思う。故郷であり目標であり神聖な場所。

それがYellowだ。

■YellowのPAはボクの同級生だった。とはいえ、彼とは学生時代にはほとんど喋ったことはない。聴いてるジャンルも全く違ったし、顔は知ってるが挨拶する程度の関係だった。

彼がYellowのPAになってから、パーティーの度に少しずつ会話を交わすようになった。ボクがまわした時も横には彼がいた。

やがて学生時代の同士は1人減り2人減り、気付けばフロアに残った者はボクと彼とレミの3人だけになった。Yellowに行く度に、寂しさと妙な連帯感をいつも感じていた。

最期の夜に、彼の手を両手で握り心からありがとうと伝えた。これだけの人の心に軌跡を残す。同世代のどんな出世頭よりも誇らしい仕事をしていると思えた。

■終盤のフロアでAckkyさんと出会った。目の前で繰り広げられる24時間を超えたとは思えない異常な光景を眺めながら、あの感覚について、残された者にできること、これからについて話した。最後は自然と固い握手を交わした。

大きな悲しみには勝てないが、少し元気が出た。

■ありもしないユートピアや美化された過去にすがりつくのではなく、等身大の今を映し出す俗な音楽。
単体では成り立たない不完全で弱い音楽。故に美しくリアルな音楽。
現代の怒りや悲しみ、そして大きな愛を包括する音楽。

Can you feel it?

それがハウスだ。

■踊り子は電子音を体の各部にアサインし、スピーカーから発せられる指令に従う。DJはPromised Landへと繋がる4桁のパスワードを入力し続ける。アクセスが成功すると、長方形のフロアは潜水艦にも宇宙船にも変貌する。ミキサーとアイソレーターを操縦桿に長い航海が始まる。

60hzの重低音がコンクリートの壁にこだまする。Jackと呼ばれるその音の原石は、煙や湿気の充満する空気と混じり、七色の照明に染められることで、初めてGrooveへと具現化する。

建物を震わす。箱が揺れる。だからハウスと呼ぶのだ。

■ある意味レイブより過酷な環境を乗り切るためバッグに詰め込んだ物資はとっくのとうに尽きた。体力が削がれタバコや酒の味すらわからなくなる。

いつのまにかフロアに座り込み意識を失っていた。どれくらい時間がたったのかわからないが、意識を取り戻した時、音はまだ鳴っていた。

It's not over between you and me...

■2回目の朝日を迎えた頃、ついにその時がやってきた。

土曜日の22時から月曜日の朝5時。31時間に及ぶミスティカルジャーニー。もはやパーティーを超越した狂気の沙汰。そりゃそうだ。綺麗に終われるわけがない。現実はそういうものだ。

ブースを見るとFKが泣いてるのか笑ってるのか眠っているのかわからないような顔で、アイソレーターをいじっていた。人の顔にはここまで感情がこもるものか。世界で最も美しい指先、ボクが憧れるアイソ捌きがそこにあった。今までYellowで通ってきて、一番大きな低音を聴いた。スピーカーが泣いた。箱が泣いた。

正直話すと、PCに移行した後のフランソワはあまり好きじゃなかった。もっと言えばDeep Space以降から、あまり興味を持てなくなった(これはボク個人の嗜好だから、人の評価を否定するつもりは全くない)。それでも最後は、ボクにも"あの感覚"を魅せてくれたことが嬉しかった。

音が止まりフランソワが「みんな家をなくしたような顔をしてる」と言った。つたない日本語が心に染みた。

しばらくフロアに腰を下ろし動けなかった。本当に悲しい時、人は無表情になると知った。

こうして黄色い青春が幕を閉じた。
本当に大切なモノに気付くのは、いつでも失った後だ。

終わりの後に始まりがあるのは、理解している。姿、形を変えながらDNAは受け継がれるだろう。ただ、Ain't No Mountain High Enoughと歌う程、現実は楽なものではない。ボクは強い人間はではないから、いつも悲観的だ。それでも幸か不幸か時は流れる。。。



さようなら。また新たな感覚に出会うその日まで。

Do you remember House?

R.I.P. Yellow....

<おまけ>
10年来のどうしようもない親友&口の悪い先輩と
この絆がハウスだ。

コメント:

yellow !!  
20代、30代を駆け抜けた青春の場所。
自分にとっては学校みたいなもんでした。
とにかく今は感謝の気持ちで一杯です。
やっぱhouse最高だよね !!


素晴らしい日記で
何度も読み返してしまいます....

私も右後ろ組の一人。
あのスピーカーの前で踊り納めできて良かったー!!!
シカゴの“If You Leave Me Now”かかった時には号泣してしまいました。
思い出ありすぎだもん、、、、

yellow....
すごくよくわかりました。

東京生まれ&育ちでお坊ちゃま。
埼玉生まれ&育ちの品の無いガキ。
環境も遊びも何もかも共通点がなく、初めて逢った人種で俺も正直あわね~なと思った。
その二人が同じ時間、感覚、目標を持てる様になったのは間違いなくyellowのおかげ。

初めて家に遊び行った時、見た事の無い機材、膨大なレコード量。
yellow帰り興奮と感動で昼までコンビニで討論したり、ブリ返して平日会って朝まで飲み明かしたり、軟弱な見た目からは想像できなかった『DJ』『party』に対する熱く真剣な想いをビシビシ感じた事を今は懐かしく思います。そして今、こうして俺が真剣にDJするきっかけを創ってくれた事に感謝しています。

ハイスピードで何もかもが変わる東京で右往左往する田舎モノの俺が愛着を持って感動し素晴らしい時間を過ごせた場所はyellowでした。

この想いを受け継ぎ地下に潜って頑張るとか今はそんな大それた事は言えないけど、また新たな感覚に出会うその時を二人で分かち合いたいと思います。

さようなら

そして

本当にありがとう...

「右後ろ組」、私も最後にあそこであの時間を共有できて良かったです。

一生忘れないだろう夜(つーか、朝っつーか昼!?)でした。

もうあの場所がないなんて、正直まだ信じられません……

10周年のフランソワにやられて、最後もフランソワにやられたね…

そんな時に横にヤマダがいた気がするよ。

イエローのフロアーで、山田とチラッと会って、ちょろっと話して、微妙な距離で二人して動けなくなるのが最高に心地よかった。
行きも帰りも別々で、大した会話もしなくても。

読んで泣いてたらアラタが帰ってきて恥ずかしいじゃない。。。

dance musicがある限りそこは必ず虚構と非日常と快楽と感動を伝える場所になる。
特に自分がプレイした店では想い出もひとしお。
boothからの映像/floorからの映像、すべてが心の幹線を渦巻いて駆け上って行く。

忘れないでいる事も大事。
続ける事も大事。
でもそんな大事じゃないかも。

好きでい続ける事が一番大事。
好き同士があつまれば西麻布だろーが六本木だろーが道後温泉だろーがフィラデルフィアだろーが必ずそこは"promised land"なんだから。
10年経っても、そのメッセージは変わらん。

Brothers, sisters
One day we will be free
From fighting, violence
People crying in the street

When the angel from above
Fall down and spread their wings like doves
And we'll walk hand in hand
Sisters, brothers, we'll make it to the Promised Land

You and I
We'll walk the land
And as one, and as one
We'll take our stand

When the angel from above
Fall down and spread their wings like doves
And we'll walk hand in hand
Sisters, brothers, we'll make it to the Promised Land…

長げっ

場所に思いがここまでとどまるのか?yamadaさんの切実な思いが染みます。

読みながらなぜかぽろぽろと泣けてしまって困りましたよー笑
いつもじゃいあんとさんの日記には共感しますが、その深い所、向こう側を見ている視線に心動かされるのかも知れないです。
初めてコエグでDJを聴いた時に、感じた何かもそこに通じるのかな。
自分はただのパーティー好きなおばさんですが、イエロ無くなっても絶望的にならないのは、志高い人達の存在があるからなのかも。
これからも応援してます☆

山田くんの音楽やイエローに対する熱く深い想いがとても伝わってくる。
と同時に、まだクラブ音楽を少ししかかじっていない自分が、なんだか同じ場所に立ってはいけない気さえしてきてしまった。
何も知らない自分が恥ずかしくて…。
そのぐらい、山田くんの想いにやられてます。

最終日は行けなかったのだけど、本当に心から愛している人たちで溢れていたのだろうな。

>ackky、音遊、☆丸、ゴンザレス、401、沼子、remi、t、マ、口の悪い先輩、ソニックデスモンキー、Cat's、yoko(敬称略)

みなさん、心の篭ったコメントありがとうございます。じっくりコメントを読ませてもらってやっぱ黄色は凄い箱だなあと再認識しやした。。。

全員に細かく返信していくとこのHPが『Yellowキモオタ同窓会』みたいになりそうなので、まとめて補足しときやす。

まず、フロアに僕みたいに重い奴ばかりがいたら、そんなパーティーは確実に糞ですw 少なくともボクは絶対遊びに逝きません。 

遊びを知る大人からマナーすら知らないクソガキまで、マイノリティー、社会不適合者、業界人まであらゆる人種を飲み込むのが大箱の魅力です。ドラッグ、酒、エロスといった人それぞれの触媒を用いて、音を見て触れる場所。昼と夜の2面性を映し出すお水な空間。それがクラブです。
 マスな場所には、大なり小なり居心地の悪さやトラブルが存在します。そうした不純物を、化け物染みたサウンドシステムとDJの魔法を駆使して吹き飛ばす清々しさ。お釈迦様だろうがジャンキーだろうが、4ビートがあれば体が動くというシンプルな事実。Grooveという人間に備わる絶対快楽。フロアでは皆平等と書いたのは、こういうことです。
 だから、ピカソのような時代から遊んでいた不良年輩者の意見も、デビューしたばかりの若者の意見も等しく扱われるべきかと。アングラにおいて他人の感覚を否定する予定調和な経験論や知識なんて、吸殻程度の価値しかないっす。

あと、ネットでは黄色閉鎖について絶賛の嵐ですが、裏では外タレ箱としての黄色に複雑な心境を持っていた人達(特にDJやオーガナイザー)は、たくさんいたと思います。多分、クローズして良かったとかチャンスだとか捉えている人もいるでしょう。サイバージャパンにアップされてる写真(1、2)なんか見てるとチャラ過ぎて、とても同じ空間にいたとは思えませんが、それも黄色の一面です。

美しいものも汚いものも受け止める(もちろん裏側ではバランスを保つための苦悩があったはずですが)。だから、黄色はクラブとして圧倒的な存在感をもっていました。最後のブッキングなんかも賛否両論を呼ぶ面子でした。いかにも東京の大箱っぽいなあと感心しました。

重く受け止める奴もいれば、軽く受け止める奴もいる。好きな奴もいれば嫌いな奴もいる。青春の時期を勘違いして30時間踊ったおっさんがいる。フロアで昆布を外人にあげたら「No」と言われた奴がいる。赤いウィンドブレーカーが数年後に黒くなった奴がいる。それでいいのかと。

個人的には、少しでもボクの考えに共感できる人は自ら意志でパーティーに足を運んで、各自の好きな感覚を見つけて欲しいです。付き合いや楽屋トーク以上の何かを。声のでかい論客やキャリア組に負けることなく、好きなものには好きと嫌いなものには嫌いと強く意思表示して欲しいです。

ボクが愛していた"あの感覚"は幕を下ろしましたが(まだギリギリ蝶が残ってるけど)、DJは必要とされる限りもう少し続けてみようと思います。現場を通じて、また新たな感動を見つけたら幸いです。
上で口の悪い先輩が書いてる「好きでい続ける事が一番大事」というのは、勇気の出る言葉です(こういう決め時を外さないのが昔から一枚上手。とか書いてると、次会った時にたぶん怒られますw)。

ハウスクラシックのリリックには、本能的で単純な単語が多数使われていて、それらは今でも心に響くものが多いです。これは、シカゴでも西麻布でも、20世紀でも21世紀も、TIME&SPACEを超えてボクらのフロア体験は変わらないという証明です。

みなさん、またどこかのフロアで会いましょう~☆

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