着地するまでがF.O.L.
いや〜、やっとなんとか戻ってきやした。素晴らしいレポがあちこちにアップされてるんで、パーティー詳細はそちらにお任せして、個人的に思ったことを書きなぐり。写真なんか全然撮らなかったなあ。
ボクは、いわゆるフラワーチルドレンと呼ばれる世代じゃないし、馬鹿だから思想とか精神世界みたいなのも理解できないし、パーティーよりクラブって言葉の方がしっくりくるし、ロングセット至上主義者だけど、それでもフラワーオブライフは心から好き。
フラワーのオリジナリティーって、縦に潜る感じではなくて横に広がるところだと思うんす。クラブだと、一晩かけてどこまで潜るか上がるかの垂直方向の振り幅で善し悪しが決まるけど、フラワーのベクトルは全く別でパーティー前後とか人のつながりといった水平方向の振り幅だと思うんす。
昨年元旦のユニバースでも思ったけど、数週間くらい前から徐々に町の雰囲気やみんなの気持ちが一つの方向を向き始め、大きく育った元気玉がダンスフロアではじける感じ。祭の後もその余韻がみんなの心に沈殿して、それがある種の連帯感まで生み出しちゃう。だからフラワー行ったことあるだけで仲良くなれちゃうし、ボクも最近つるんでる人はみなフラワー体験者ばかり。
この感覚って、「DJと差しで裸一貫のガチンコ勝負」というクラブの美学とは違った新感覚なんす。ラブ&ピースなんて思考停止な表現は使いたくないけど、そうとしか言えない場面が確かにあるんだよなあ。当日まで連絡すらしてなかったのに、ライブラリーに来てる人達が味園306号室に自然と集まってプチライブラリーして、みんなで雑魚寝して起きたらもう2日目のパーチー始まってるとかね。フラワーじゃないと絶対ありえない光景。とにかくわずか5年であそこまでの世界観を作り上げたF.O.L.クルーには、ありがとうという言葉しか思い付かないっす。
ただ心配なのは、F.O.L.は東京のシーンにも多大な影響を与えてるけど、D.I.Y.だって方法論の1つに過ぎないわけで、その魔力を盲信するのは危険だと思うんす。D.I.Y.って、サブカル、クリエイティブ、アングラなどと同じように、一歩間違えば言い訳や保険に使われちゃうデリケートな言葉だし。確かに、1から10まで自分でクオリティーコントロール出来るメリットはデカいけど、逆にクオリティーが低くても当事者しかいないから誰も注意できないって危険性も孕んでる気がしやす。実際、D.I.Y.って言葉に便乗してるだけで、内容の伴わないパーチーとかたまに見るし。
F.O.L.はあの圧倒的な世界観を創り上げたからこそ、その過程や理想まで支持されてるわけで、「内容なくてもD.I.Y.ならOK」とか「ヒドければD.I.Y.」という軽いノリは間違ってるような気がしやす。ボクはリアリストなんで、結果が出てないのに主義主張だけを美化するのはやっぱ馴染めない。
D.I.Y.って山を後追いしてもFlower of Lifeの確立された世界観を追い越すのは難しいし、人も空気も違う東京で西と同じ事やっても意味ないわけで、F.O.L.には最大限のリスペクトを払いつつ違う山を登らせてくれるパーチーが出現して欲しいっす。F.O.L.が新たな世界をみせてくれたように、D.I.Y.以外にもまだ見ぬ未開の地があるはずだし。もちD.I.Y.で本気で頑張ってる人も、応援するけど。
ネットの普及で地方が都市部を経由しなくても世界とダイレクトに繋がるようなって、東京はセンスのないビルが建ち並ぶだけのハッタリシティーに成り下がってしまったけど、それでもメトロポリスの底力を信じたいという気持ちもどこかにあるんす。かつての東京が持っていた優位性が全部ひっぺがされ、怠惰に気付かされた今だからこそ次のステップに逝けると信じたいっす。そのうち、地方の人から心からありがとうと言われるパーチーが東京にも出現すればいいな♪
ま、ごちゃごちゃ書いたけど、とにかく楽しかった〜★完全燃焼したので、しばらくパーチー遊びは休養しやす(といいながら、すぐ復帰してもご容赦を)。人生ゲームとかで無邪気に遊びたいなあ。。。
P.S.
F.O.L.帰り強行軍で望んだProgress @ Bodegaは2回目にして大化けしやした。夕方からのパーチーなのにミックスを聞いて足を運んでくれた地元連中が気合い入ってて、奇声はあがるわ踊りすぎで針飛ぶわってDJ冥利につきやした。畑の違う人が、純粋にハウスで踊ってくれるとホント嬉しいっす。Librozが外でやったのは初めてだけど、やっと1+1=2以上のことができるようになってきたと思いやす。大人の事情で色々あるみたいだけど、機会があれば是非続けたいパーチーっす。乞うご期待〜♪
いや〜、やっとなんとか戻ってきやした。素晴らしいレポがあちこちにアップされてるんで、パーティー詳細はそちらにお任せして、個人的に思ったことを書きなぐり。写真なんか全然撮らなかったなあ。
ボクは、いわゆるフラワーチルドレンと呼ばれる世代じゃないし、馬鹿だから思想とか精神世界みたいなのも理解できないし、パーティーよりクラブって言葉の方がしっくりくるし、ロングセット至上主義者だけど、それでもフラワーオブライフは心から好き。
フラワーのオリジナリティーって、縦に潜る感じではなくて横に広がるところだと思うんす。クラブだと、一晩かけてどこまで潜るか上がるかの垂直方向の振り幅で善し悪しが決まるけど、フラワーのベクトルは全く別でパーティー前後とか人のつながりといった水平方向の振り幅だと思うんす。
昨年元旦のユニバースでも思ったけど、数週間くらい前から徐々に町の雰囲気やみんなの気持ちが一つの方向を向き始め、大きく育った元気玉がダンスフロアではじける感じ。祭の後もその余韻がみんなの心に沈殿して、それがある種の連帯感まで生み出しちゃう。だからフラワー行ったことあるだけで仲良くなれちゃうし、ボクも最近つるんでる人はみなフラワー体験者ばかり。
この感覚って、「DJと差しで裸一貫のガチンコ勝負」というクラブの美学とは違った新感覚なんす。ラブ&ピースなんて思考停止な表現は使いたくないけど、そうとしか言えない場面が確かにあるんだよなあ。当日まで連絡すらしてなかったのに、ライブラリーに来てる人達が味園306号室に自然と集まってプチライブラリーして、みんなで雑魚寝して起きたらもう2日目のパーチー始まってるとかね。フラワーじゃないと絶対ありえない光景。とにかくわずか5年であそこまでの世界観を作り上げたF.O.L.クルーには、ありがとうという言葉しか思い付かないっす。
ただ心配なのは、F.O.L.は東京のシーンにも多大な影響を与えてるけど、D.I.Y.だって方法論の1つに過ぎないわけで、その魔力を盲信するのは危険だと思うんす。D.I.Y.って、サブカル、クリエイティブ、アングラなどと同じように、一歩間違えば言い訳や保険に使われちゃうデリケートな言葉だし。確かに、1から10まで自分でクオリティーコントロール出来るメリットはデカいけど、逆にクオリティーが低くても当事者しかいないから誰も注意できないって危険性も孕んでる気がしやす。実際、D.I.Y.って言葉に便乗してるだけで、内容の伴わないパーチーとかたまに見るし。
F.O.L.はあの圧倒的な世界観を創り上げたからこそ、その過程や理想まで支持されてるわけで、「内容なくてもD.I.Y.ならOK」とか「ヒドければD.I.Y.」という軽いノリは間違ってるような気がしやす。ボクはリアリストなんで、結果が出てないのに主義主張だけを美化するのはやっぱ馴染めない。
D.I.Y.って山を後追いしてもFlower of Lifeの確立された世界観を追い越すのは難しいし、人も空気も違う東京で西と同じ事やっても意味ないわけで、F.O.L.には最大限のリスペクトを払いつつ違う山を登らせてくれるパーチーが出現して欲しいっす。F.O.L.が新たな世界をみせてくれたように、D.I.Y.以外にもまだ見ぬ未開の地があるはずだし。もちD.I.Y.で本気で頑張ってる人も、応援するけど。
ネットの普及で地方が都市部を経由しなくても世界とダイレクトに繋がるようなって、東京はセンスのないビルが建ち並ぶだけのハッタリシティーに成り下がってしまったけど、それでもメトロポリスの底力を信じたいという気持ちもどこかにあるんす。かつての東京が持っていた優位性が全部ひっぺがされ、怠惰に気付かされた今だからこそ次のステップに逝けると信じたいっす。そのうち、地方の人から心からありがとうと言われるパーチーが東京にも出現すればいいな♪
ま、ごちゃごちゃ書いたけど、とにかく楽しかった〜★完全燃焼したので、しばらくパーチー遊びは休養しやす(といいながら、すぐ復帰してもご容赦を)。人生ゲームとかで無邪気に遊びたいなあ。。。
P.S.
F.O.L.帰り強行軍で望んだProgress @ Bodegaは2回目にして大化けしやした。夕方からのパーチーなのにミックスを聞いて足を運んでくれた地元連中が気合い入ってて、奇声はあがるわ踊りすぎで針飛ぶわってDJ冥利につきやした。畑の違う人が、純粋にハウスで踊ってくれるとホント嬉しいっす。Librozが外でやったのは初めてだけど、やっと1+1=2以上のことができるようになってきたと思いやす。大人の事情で色々あるみたいだけど、機会があれば是非続けたいパーチーっす。乞うご期待〜♪
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